骨董屋 青雲館

昭和の金沢、まだ子供だったころのことや、今の金沢に思うことなど、折々に綴っています。

今と昔で違う言い方

2024年05月04日 | 日記
喫茶店などでアイスコーヒーやクリームソーダを頼むとき、昔の「ヤング」は格好をつけて「レーコ」とか「クリソー」などと言っていた。
今でもアニメやゲームのタイトルを一部取って短くして言っているが、それと同じ感覚だろうか。

今ではコロナの流行もあってよくウイルスという言葉を耳にするが、昔は「ビールス」と言っていた。
昔の医学はドイツ語が主流だったから、そのせいでもあったのだろう。
心電図も昔はEKGだったが、今の看護婦さんはECGで習っているからか「エーカーゲー」と言うと「はい? いい加減?」と聞き返されてしまうこともある。
カルテやワッテ、チリンデルなど名称として根付いているものもあるが、「エッセン(食事)に行ってきます」と言っても通じないことも多い。

そういえば中学生のころ先生に「看護婦になりたい」と話した時、「職業婦人を目指すのか」と言われたこともある。
戦後すぐは女性の社会進出に伴って、事務職員などの女性をBG(ビジネスガール)と読んでいた。
そのうちそれは春を売る女性の事だと騒がれて、以後はOL(オフィスレディ)と言われるようになった。
昔はトルコ風呂と言われていた風俗業も、親日のトルコに失礼という声が上がって「ソープ」や「泡風呂」と言われるように変わった。
ちなみにそのころはなぜトルコが親日なのか、理由を知っている人はほとんどいなかったと思う。

戦後国民はずっと「日本は悪いことをした」という罪の意識をたたき込まれていたので、そんな日本に親しみを持ってくれている国などあるはずないと思っていた人も多かった。
戦後ようやく東京でオリンピックが開かれるようになったころも、日本はまだまだ敗戦国の扱いで、東洋の魔女と言われた女子バレーの選手たちも外国での遠征ではあからさまなジャッジ差別を受けたという。
そんな「いじめられて当然」と肩身の狭かった日本が、明治のころには難破したトルコの船員を救助したとか、戦争中であってもパラオの人たちに優しかったとかで、今でも親日でいてくれるという話を聞くようになれて嬉しく思う。
戦争という手段はよくないことだが、もともと日本の掲げた「八紘一宇」は、地球上のみんなが一つの家族として仲良く手を取り栄えていこうという考えだ。
敗戦という苦難に耐え、数々の天災を乗り越えてきた日本だからこそ、これからは武力ではなく、誠の心で真の八紘一宇のリーダーになって世界を導いていってほしいと思う。



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昔の子供の歌 

2024年04月27日 | 日記
いちべえさんが芋切って にべえさんが肉食べて
さんべえさんが酒飲んで よんべえさんが酔っ払って
ごべえさんがゴマすって ろくべえさんがローソク立てて
しちべえさんが火を焚いて はちべえさんが鉢巻しめて
きゅうべえさんが首切って じゅうべえさんが重箱担いでえっさっさ

歌いながら手で芋を斬ったり肉を食べたりする様子をしていき、「えっさっさ」の最後の「さ」と共にじゃんけんする。

一年生が石投げた 二年生が逃げた
三年生が叫んだ 四年生が叱られた
五年生がごまかした 六年生がとうとう牢屋に入れられた

学校帰りなどに皆で歌ったことがある。
それとは別に上級生の男の子たちが「一年生の犬のクソ」とからかって歌うこともあった。



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エスカレーターの乗り方

2024年04月22日 | 日記
新幹線の延伸前に、サンダーバードの乗り納めに京都へ行ってきた。
北陸新幹線ができてからは便利になったこともあって、東京に行くことが多かったから、久しぶりに京都駅についてエスカレーターに乗った時、あれ…と思った。
これまでは京都につくと、烏丸の改札口に出るエスカレーターは右側に人が立って左が開いていることが多かったのだが、今回は皆左側に立って右を開けている。
たまたま新幹線で関東から来た人が多かったのかもしれないが、これまで見たことがなかったので印象的だった。

金沢に新幹線が来た時、東京から行ったり来たりする人だからか、当然のようにエスカレーターは右を開けて左乗りになっていた。
元々金沢はバスに乗るときもあまり列を作る習慣はなく、今でも駅など待つ人が多い場合以外は列にならない。
エスカレーターも初めて金沢に現れたのは、私のまだ小学校のころの丸越デパートだったが、それも上りだけで、下りは階段を使わなければならなかった。
その後徐々にいろんなところにエスカレーターができ始めたが、それでも今でも金沢ではどっちに乗らなければならないということはない。
乗る人の乗りたいように右でも左でも立つから、いやでも皆その場に立ったままになる。
片側に並ぶのは急ぐ人のためだったが、そのために事故も起きやすく、今では駅ではエスカレーターは歩かないようアナウンスがされている。
それでも片側に並んで乗ると、どうしても急ぐときは空いている方を歩いていきたくなるのもまた人情というものだろう。
そういうことを考えると、金沢のような乗り方は嫌でも止まっていなくてはならないので、かえって事故が起きにくい良い乗り方なのかもしれない。
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北陸新幹線延伸

2024年04月16日 | 日記
延伸前に金沢駅に行って、新幹線が延伸するに伴って慣れ親しんだ「北陸本線」がなくなってしまうことを知った。
国鉄の時代から特急「雷鳥」「サンダーバード」が走った北陸本線という名称が消えてしまうのは寂しい。
新幹線が敦賀まで延伸するに伴って、サンダーバードも金沢駅から消えた。
東京駅では行先表示も金沢ではなく「敦賀」となり、これまで始発、終着駅だった金沢は途中駅になって、これまでのようにのんびり乗り降りしていられなくなった。
なぜか延伸してからは、新幹線の改札口中央のエスカレーターが、これまで上り下りあったものがなぜか二つとも上り用になり、下りは階段かエレベーターになってしまった。

北陸新幹線が出来るまでは、ほくほく線で上越新幹線に乗り換える必要があった。
今後は敦賀から京都か米原に延伸するまで、これまでのほくほく線のようにサンダーバードは使われるのだろう。
敦賀から先、どのようなルートになるのかは知らないが、直接北陸新幹線が関西や東海につながっていくのはいつの事だろう。
今まで乗り換えなしで京、大阪に出かけられたことを思うと、関西へ行くのはいささか面倒になったと思う。
新幹線がつながって、米原経由になっても関西へは直接行けるようになるのだろうか。
まあ、自分があれこれ考えなくても、そのころには旅をする元気があるかどうかという話ではあるのだが。
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飛鳥Ⅱ

2023年09月12日 | 日記
これまで何度か国内を飛鳥Ⅱでクルーズしたことがあります。
船の旅は時間もかかるし、波が高くなると揺れるので敬遠する方も多いと思います。ましてクルーズとなるとフェリーより時間も料金もかかってしまいますから。
それでも定年退職の自分へのご褒美として一生に一度のつもりで乗ったのが忘れられず、気がつけば年に一度くらい、短い船旅を楽しんでしまっています。

初めてクルーズを予約した際にお目当ての船はすでに満員で、飛鳥Ⅱは同じような航路でまだ空きがあるとのことから始まったご縁でしたが、一度その船旅を体験したら何度も乗船したくなってしまいました。
乗船中は食事はもちろんいろんなゲームや催し物もありますし、読書でも運動でも、映画も買い物も、自分の好きなことをして過ごせるという楽しみがあります。
そうやってくつろいでいるうちに観光地に連れて行ってくれるという、動くホテルでもあります。
一人旅の人も多いので、コミュニケーションが苦手でなかったら夕食を一人旅同士のテーブルにしてもらうと、いろんなお話が聞けるという楽しみもあります。
自分はセレブでもありませんが、船内ではいろんなクルーがお世話をしてくださいますので、上流の生活を疑似体験するという楽しみもあります。
服装も国内ではあまりフォーマルの指定はないようですし、インフォーマルの指定のある時には結婚披露宴に参加するようなおしゃれを楽しむことができます。
クルーズではスタッフがいろいろと親切にしてくださいますし、あまりお行儀の悪いお客様も滅多にいらっしゃいませんので、慣れていなくても一人旅でも安心です。

金沢発着のクルーズなら飛鳥Ⅱの母港横浜までの往復運賃も不要ですから、今後もいろんなルートが出てきてくれると嬉しいです。
今回で乗船はおしまいにしようと思っているのですが、金沢発着で函館行きがあったらまた予約してしまいそうな気もします。
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